葉をまとふなく春深し

読書録を中心に、大学4年間の文学日記。

空が青いから白をえらんだのです

 作者は「受刑者」です。少年刑務所の中からの詩集。
 感銘読録、第1回目は私が高1の時に書いた読書感想文です。

空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集

空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集

 

空が青いから白をえらんだのです

受刑者らが書いた詩

 詩集を読んで、読書感想文を書く。多少ためらいはあったが、どうしてもこの本に対する感想を紡ぎたかった。今夏読んだ本十七冊の中で、一番私の心をかき乱したのである。

 手に取ったきっかけは書名だった。『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』。その副題どおり、詩を書いたのはすべて受刑者なのだ。罪の内容も、軽いものだけでなく強盗・殺人・レイプなど重罪もあり、知るのがこわい世界ではある。それでも、少年少女ということで、歳近い彼らの胸の内を見てみたいと本を開いた。

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くも

  詩だけでなく、編者に依る解説が一つひとつ丁寧に添えられている。最初に取りあげられていた『くも』という詩。

    くも
   空が青いから白をえらんだのです
 解説がなければ、なんのことかわからなかったと思う。夫から暴力を受けていた亡き母についての、たった一行。〝くも〟が母ならば、空はなんだろうか。厳しい社会、恐ろしい父? もしくはもっと優しいものか。少なくとも少年Aの中で、母のイメージはあまりにも美しい。清い目をしている。
 話を聞いた仲間たち、つまり受刑者たちは、「Aくんのおかあさんは、まっ白でふわふわなんだと思いました」「ぼくは、おかあさんを知らないので、この詩を読んで、空を見たら、ぼくもおかあさんに会えるような気がしました」などというすばらしい反応をする。少年たちの声は優しい。仲間の心の叫びをどれほど純粋に拾ってくることか!

〝少年A〟は実像か

 私たちは何重もの偏見にしばられている。確かに罪は罪であり、裁かれなければならないのだが。少年法の壁とよく言われる。若いから罪が軽くなる、それもまた被害者・遺族にとってはやりきれないのだろう。けれども……。
 九七年に起こった〝酒鬼薔薇聖斗〟事件。当時の報道などを調べてみると、吐き気を覚えるほどショッキングだ。だがこの事件に関して私が最も衝撃を受けたのは、我が敬愛する作家・灰谷健次郎氏が加害者の更正を信じていたことだ。あるいは盲信といった方が正しいのかもしれない。あの少年Aは明らかに狂っているように思える。「更正した」ということで今は極普通に社会に紛れているのである。想像すると怯えてしまう自分がいる。
 これは内省も含めて、実際に知りもしない〝少年A〟の姿を、報道などに依っていとも簡単に知った気になってしまう私たち。
 実際は〝少年A〟というのは虚像であり、その内側にひとりの人間がいる。背景には様々な事情があったわけで、罪は罪だが、犯罪者に対する偏見で凝り固まっていたのだと気付かされた。
 

神様に愛された、逆境

   私たち、〝まっとうな〟人間がどれほど純粋なのだというのか。人は逆境に在らねば、魂の琴線にふれることはできない。神様は彼らに大きな逆境を与えた。それは逆に、神様に愛されているということにはならないか。
 だからといって犯罪の被害者が愛されていなかった、などと戯言は言わないが。私もまたたくさんのことで悩んできた。そしてその逆境は、間違いなく神様に与えられたものなのだと考えている。彼らの抱える罪の重みとは、比べられないほどの小さな逆境かもしれない。被害者がいるという点で、私は彼らの逆境を軽くは扱えない。
 でも私たちは犯罪者に対する偏見を捨てるべきなのだ。ひとつの事件は、それひとつの事件として、慎重に見つめて発言すべきだろう。犯罪者と同じ人間という立場から。

清い思い

   私は考える。『生きること』という詩に、〈そして……/幸せになりたい〉と「控えめな小さな文字で」書かれていた受刑者の声を無視してはいけない、と。
 だれにでも幸せになる権利はある。彼らが充分に悔い、つぐない、考えつづけるなら、人間としての深みはぼうっと生きてきた者より遥かに深い。
 私はかつていじめを受けた経験がある。痛みを知っている人は、決して他者を傷付けない。だから彼らは優しいのだ。そのはずなのに、日本の刑務所に収容されている人の四十パーセントが、再犯者であるという。本書に収められた詩に映っている、もがき苦しむ彼らの姿。社会は彼らのために、もっとできることがあるはずだ。
 だってこんなにも純粋な詩の数々に、私は心を揺さぶられたのだから。感動したのだから。この詩集に収められた詩を書いた人たちみんな、更正できるはずだと信じた。
 〈もらったもんが 大きすぎるから/恩返しなんて おれにはできひん/でも/悲しませることは……/もうせえへんよ おかん〉
 苦悩の末に見付けたのだろう。母親のかけがえのない愛情に純粋に感謝している。〝もらったもの〟があの『くも』ほどに優しいと知った後の、彼らの思いは、どこまでも清い。

(感想文・2011夏=id:saho417/ペンネーム:春=本文写真)

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空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集― (新潮文庫) ハル@灯れ松明の火さんの感想 - 読書メーター

『空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集』(受刑者)の感想(19レビュー) - ブクログ

 以下、本文より引用

(177頁)
それは確かに「詩」だ。日常の言葉とは違う言葉だ。ふだんは語る機会のないことや、めったに見せない心のうちを言葉にし、文字として綴り、それを声に出して、みんなの前で朗読する。
 その一連の過程は、どこか神聖なものだ。そして、仲間が朗読する詩を聞くとき、受講生たちは、みな耳を澄まし、心を澄ます。ふだんのおしゃべりとは違う次元の心持ちで、その詩に相対するのだ。
 すると、たった数行の言葉は、ある時は百万語を費やすよりも強い言葉として、相手の胸に届いていく。届いたという実感を、彼らは合評のなかで感じとっていく。
 その「詩の言葉」が、人と人を深い次元で結び、互いに響きあい、影響しあう。
 そのような神聖な時間、静謐で精神的な時間を、わたしたちは普段、あまりにも持たないできた。


(178頁)
人の言葉の表面ではなく、その芯にある心に、じっと耳を傾けること。詩が、ほんとうの力を発揮できるのは、実は本のなかではなく、そのような「場」にこそあるのではないか、とさえ感じた。

(200頁・文庫版あとがき)
やがて、みな一様に「かわいく」なっていく。素直な、ほんとうの心がかいま見えてくれば、そこには理解不能なモンスターなどいない。彼らの心には、胸が詰まるほど苦しく悲しい思い出や、つらい記憶が満ちている。それを抱えながら、なんとか懸命に生きよう、まともな道を歩こうと、みなそれなりにもがいているのだ。その「素」の姿が見えてくる。